昭和45年10月02日 夜の御理解
神に御任せとか、神様に身も心も任せるとかと云うに、今朝からも昨夜あたりからも頂いておりますが、神様に任せるという事は必ずしもね、任せておる時に有り難いという事じゃない。むしろじゅつ無い事もある、苦しい事もある、かえって困った結果になる事もある。けどもその後にね、その後に任せきってこうなっておるのだから、という心の安らぎが出来る。その安らぎが蓄積されて、私はそれがおかげになる。それが徳になるんだと思うんですね。
今日私2、3日少し風邪を引いたなと思いよったら、昨夜あたりからだいぶん風邪の色々な症状が出て来て、扁桃腺がはれて、私は風邪を引くとすぐ扁桃腺が腫れるんです。それから少し熱が出て来て、今日はもう少し水鼻が出る様な感じがする。もう本当にあの夕方早く、お風呂にでも入ってそのまま休ませて頂いたら、大変気分の良かろうごとあります。だから休んだりすると、又途中で御祈念に起きて来る、それが矢張り、あのすうっとしてから、温い所から冷たい所へ出るといけないと思って。
神様にお願いさして頂いたら。やっぱ御祈念まで起きとくが良い様に頂きましたから、まあいうなら神様まかせで、今日一日を見たくもないテレビを見ながら、例えば時間を過ごしたりしておるわけで御座いますけれども、やっぱしるしい。ですからその「任せ」になっておるという事は、決してその神様まかせになった時は楽ですとか、安心とかっていう事はない。返ってむしろじゅつない。
矢張り苦しいと言った様な事にもなるけれどもそのねそのなら、今日一日なら今日一日を例えば任せきって。ほんとに休まして頂く事を許される時にです。本当に神様の仰せ通りにつかまつっておりますという、その心の安らぎがね、いわゆるたまりたまっておかげを頂けれる。所謂神様にご信用の頂ける元が出来て行くんですよね。ですから神様任せになる事が必ずしも得をするとか、しるしくないとかという事ではない。
だからそこの所が信心修行だと思いますね。今日私の体の上にそのような、これはそんなら、そんな親先生の様に、いち一なら神様から休めとか起きれとかと頂かない者はどうにも出来ないというのですけれども、そこはね、あのそうでない。皆さんがお願いをなさる。例えば事柄の中から、それと同じ様な事があるとこう思うのですよね。お願いをなさる、その事柄の中から、そりゃ右が良いですよ、左が良いですよと、先生は左と仰るけど、右の方がいい事がそりゃあるんです。
その方が楽なんです。という事がなるけれども、その例えば今日でいうなら、一日締めくくってから、又は、その願いの事が一つけりが付くまでがです、任せきっておるという事の喜びというか、それが頂けれる。そこに安らぎが感じられる。そういう私は蓄積こそが、本当に神に御任せという事の、有り難さが体得出来る。分からして頂ける、、まあひとつの順序だという風にね、今日、自分の事からその事を感じさせてもらいました。
どうぞ